東京地方裁判所 昭和59年(合わ)17号 判決 1984年6月22日
主文
被告人を懲役五年に処する。
未決勾留日数中一二〇日を右刑に算入する。
押収してあるライター一個(昭和五九年押第三九二号の1)を没収する。
理由
(被告人の経歴、本件犯行に至る経緯等)
被告人は、本籍地において生まれ、昭和二〇年ころ単身上京して、数寄屋橋周辺で靴磨きなどして暮し、昭和三〇年ころから窃盗罪等により服役を繰り返すようになり、昭和四〇年ころには東京を離れ、大阪において暴力団山口組系加茂田組に所属し覚せい剤の密売などしていたが、昭和五二年七月、当時居住していた大阪府西成のアパートに放火したことで懲役六年の刑を受けて服役し、昭和五八年九月に大阪刑務所を出所後、再び上京した。
その後、被告人は、都心の公園等で寝起きして、銀座東芝ビル、有楽町阪急デパート、東京交通会館等の地下塵芥処理場などから、捨ててあるダンボール箱を拾い集め、これを廃品業者に売却して金を稼いだり、東京駅構内で遺留金品などを拾い集めるいわゆる地見屋をするなどして、その日暮しの生活をしていた。
(罪となるべき事実)
被告人は、
一 昭和五八年一二月一九日午後九時一五分ころ、東京都千代田区有楽町二丁目一〇番一号所在の東京交通会館地下二階塵芥処理場において、同所に捨ててあるダンボール箱を拾い集めようとしたが、その際、以前から患つている痔疾の疼痛を覚え、これにいら立つうちに、その少し前に、銀座東芝ビル地下二階塵芥処理場において同所に集積されていた紙屑等に火を着けて、炎が燃え上がるのを見ていたところ、痔疾の疼痛が和らいだことから、再度、火を放つて疼痛を和らげるとともに憂さ晴らしをしようとして、右東京交通会館地下二階塵芥処理場(79.1平方メートル)の北西隅に設けられた可燃性塵芥集積区画内(間口約6.5メートル、奥行約四メートルで、高さ約一メートルないし1.5メートル、厚さ約一四センチメートルのコンクリートの仕切りがなされている。)に、折柄、高いところで一メートルを越え、ほぼ全面にわたつて多量の紙屑等の可燃性塵芥が集積されており、その中の紙片に点火すれば、これらの塵芥はもとより、右東京交通会館を一部なりとも焼燬するに至ることがあることを認識しながら、あえて所携のライター(昭和五九年押第三九二号の1)で右塵芥中の紙片に点火して火を放ち、右塵芥を全面にわたつて燃え上がらせ、もつて、遠田四郎ほか三四七名位が現在する東京都交通局及び株式会社東京交通会館の区分所有及び共有に係る右東京交通会館(鉄骨・鉄筋コンクリート地下四階地上一五階建、延床面積六万五一四四平方メートル)を焼燬しようとしたが、同会館の警備保安係、消防士等により消火されたため、右火力によつて、右塵芥処理場のコンクリート内壁表面の厚さ約2.5センチメートルのモルタルを合計約12.9平方メートルにわたつて剥離、脱落させるとともに、同所のコンクリート天井表面に吹き付けてあつた厚さ約一センチメートルの石綿を合計約61.6平方メートルにわたつて損傷、剥離させたほか、天井に取り付けられていた螢光灯六本、白熱電灯二個、差動式スポット型感知器三個、定温式スポット型感知器二個を溶融・損傷し更に同所の吸気ダクトの塗装約一四平方メートル、排気ダクトの塗装約10.1平方メートルを焼損するなどしたにとどまり、右建造物を焼燬するに至らず、
二 昭和五八年一二月二三日午後七時五分ころ、右東京交通会館地下二階塵芥処理場において、同所に捨ててあるダンボール箱を拾い集めようとしたが、ダンボール箱がごく僅かしかなかつたため落胆し、その腹いせや、折柄の痔疾の疼痛に、再度放火して憂さ晴らしとともに疼痛を和らげようとして、折柄、前示可燃性塵芥集積区画内に、ほぼ全面にわたつて約9.05立方メートルの多量の紙屑等の可燃性塵芥が集積されており、その中に紙片に点火すれば、これらの塵芥はもとより、右東京交通会館を一部なりとも焼燬するに至ることがあることを認識しながら、あえて所携の右ライターで右塵芥中の紙片に点火して火を放ち、右塵芥を全面にわたつて燃え上がらせ、もつて、中村毅ほか一三四七名位が現在する右東京交通局等所有の右東京交通会館を焼燬しようとしたが、同会館の警備保安係員等により消火されたため、右火力によつて、右塵芥処理場のコンクリート内壁表面のモルタル及びコンクリート天井表面に吹き付けてあつた石綿を一部黒変又は剥離して損傷させたほか、天井に取り付けられていた白熱電灯二個、差動式スポット型感知器二個、電気配線若干を溶融、損傷さすなどしたにとどまり、右建造物を焼燬させるに至らなかつた
ものである。
(証拠の標目)<省略>
(争点に対する判断)
一焼燬について
1 本件公訴事実の第一は、「被告人は、(中略)東京交通会館地下二階塵芥処理場において、(中略)同建物に放火してうさ晴らしをしようと企て、同所の可燃性塵芥集積区画(間口約2.5メートル、奥行約四メートル、高さ約一メートルのコンクリートの仕切)内にうず高く集積されていた多量の紙屑等の可燃性塵芥中の紙片に所携のライターで点火して火を放ち、右塵芥を全面にわたつて燃え上がらせ、その火力により、右塵芥処理場のコンクリート内壁表面の厚さ約2.5センチメートルのモルタルを合計12.9平方メートルにわたつて剥離、脱落させるとともに、同所のコンクリート天井表面に吹き付けてあつた厚さ約一センチメートルの石綿を合計約61.6平方メートルにわたつて損傷、剥離させるなどし、もつて(中略)右東京交通会館(鉄骨・鉄筋コンクリート地下四階地上一五階建、延床面積約六五、一四四平方メートル)の一部を焼燬し」たというのである。そして、検察官は、この「など」とは同所の吸気ダクト及び排気ダクトの塗装の各一部が燃焼し、螢光灯六本、白熱電灯二個、差動式スポット型感知器三個、定温式スポット型感知器二個を火力によつて一部溶融したことにより損傷させるなどしたことをいうものと釈明するとともに、論告において「右塗装の燃焼は吸気ダクトで約一四平方メートル、排気ダクトで約10.15平方メートルに達しているほか、本件放火によつて、本件塵芥処理場のコンクリート内壁面のモルタル部分は強度が著しく低下し、天井表面の石綿部分も大幅な強度低下及び質的変化を起こすに至つていて、しかも右モルタル・石綿及び塗装は防音・断熱・美観保持のため本件塵芥処理場の内壁面・天井表面・吸排気各ダクトに吹き付けるなどして、同処理場本体と不可分一体となつて右建造物の効用機能を十分ならしめていたものである。他方、右可燃性塵芥等が、燃焼することによる火炎、煙、熱気、ガス等によつて人の生命、身体、財産に対する侵害の危険を生じさせたもので、このような本件公訴事実第一の犯行は、木造住宅等可燃性建造物の場合にみられるような建物自体の燃焼状態は惹起しなかつたとしても、可燃性建造物の独立燃焼状態と同等と評価しうるまでの火力による損傷状態に達し、もつて建造物としての効用を著しく毀損させるに至り、かつ、公共の危険が生じたものとみることができる。」と主張する。なお、検察官は「焼燬」の一般概念につき、公判中の釈明と論告とでやや一貫しない面もあり、明確を欠く点もないではないが、これを善解すれば、「放火罪が公共危険罪とされる由縁は、火力という手段により建造物等を損壊し、公共の危険を生ぜしめるところにあるのであるから、建造物本体が不燃性があるため燃焼することがなかつたとしても、媒介物の火力によつて不燃性建造物の一部を、可燃性建造物の本体あるいは一部が独立燃焼の状態に達した場合と同等に評価し得るまで損壊して建造物としての効用を著しく毀損させるに至り、かつ、それによつて人の生命、身体、財産に対する危険状態に至つた場合には、単なる建造物損壊罪としてとらえることなく、建造物の放火罪としてとらえるべきであり、この観点に立つても、被告人の右所為は、まさに建造物放火罪の焼燬にあたり、同罪の既遂として評価されるべきものであると考えるから(河上和雄「放火罪に関する若干の問題について」捜査研究二六巻三号四三頁参照)、本件公訴事実第一は、現住建造物放火罪の既遂とするのが相当である。」旨主張するもののように思われる。
2 これに対し、弁護人は、「焼燬の概念は、火勢が媒介物を離れ、目的物が独立燃焼する程度に達したことをいうのであつて、検察官の主張するように、焼燬をもつて損傷、剥離、剥落等と同一ないし類似の概念とするのは失当である。
本件においては、損傷、剥離等はあるが、目的物件が独立燃焼したことを明らかにする証拠は全くないのである。従つて、被告人の本件公訴事実第一については、現住建造物放火罪の未遂罪とするのが相当である。」旨主張する。
3 そこで判断するに、刑法一〇八条所定の現住建造物放火罪は、目的建造物に火を放つてこれを「焼燬」することにより既遂に達するものであるところ、この「焼燬」とは、同罪が財産罪の側面があるとはいえ、本質において公共危険罪であることを鑑み、犯人の放つた火が、媒介物を離れて当該目的建造物の部分に燃え移り、爾後その火が独立して燃焼を維持する程度に達したことをいうものと解するのを相当とする。検察官の見解は、いわゆる効用喪失ないし毀滅説の理解において問題がないとはいえず、新説を主張するとしても、現住建造物放火罪の既遂時期を判定する基準として明確性に欠け、たやすく左担することができない。
そこで関係証拠によると、なるほど本件においては検察官主張のようにモルタルの剥離、脱落等は認められるが、火が媒介物を離れてそれら、ひいては建造物自体に燃え移り、独立して燃焼を維持する程度に達した事実を認めさせる証拠はない。なお、検察官はダクトの塗料が燃焼していることを理由に、ダクト吹き付けの塗料が独立燃焼したかのようにとれる主張をしているが、関係証拠によれば、ダクトの塗料が一部焼損していることや、残る塗料をダクトから採取してライターで点火したところ黒煙を上げて燃え出したものの、このダクトは亜鉛引鉄板製のものであることが認められるので、それらの事実だけでは、ダクトに塗布されたままの塗料が媒介物を離れ、独立して燃焼する程度に達していたとはいえず、他にこれが独立燃焼状態に達したとする証拠はない。もつとも検察官も独立燃焼の域に達していなくても本件は焼燬と同視すべきことを主張するのである。しかし、焼燬の概念は上述のとおりであり、仮に焼燬と同視すべき毀損を既遂の基準として採り入れるとしても、媒介物の火力により建造物の主要部分につき毀損が生ずるなどして、建造物本来の効用を失う程度に至つていることが必要であつて、判示程度の毀損では足りないことは検察官の引用する「河上和雄・放火罪に関する若干の問題について、捜査研究二六巻三号」からも明らかである。
それ故、現住建造物放火罪の既遂罪が成立すると主張する検察官の主張は採用できず、弁護人の主張が正当であり、判示認定のとおり未遂罪を認定するに止めた。
二なお、こうした認定の経緯に鑑み、被告人の故意につき慎重な検討を要するところ、本件捜査は警察、検察を通じ刑法一一〇条の建造物以外放火罪の嫌疑をもつて進められたゆえか、被告人の捜査段階における供述はもつばらこの視点で録取されていて、公判廷における供述もその延長線上にあり、こうした供述からみると、被告人には、塵芥を焼燬することの認識・認容はあつたものの、本件建造物自体を焼燬することの認識・認容はなく、特に、判示第二の所為については、判示第一の所為の結果を現認しているのであるから、本件建造物を焼燬するに至らないものと思つていたともいえるのであつて、こうしたことから、被告人には現住建造物放火の故意を欠くのではないかとみられないではない。しかも、本件地下二階塵芥処理場が構造上他の区画と区分けされ、すぐれた防火構造を備え、同所の火災が他の区画へ容易に延焼しにくい構造となつていて、構造上及び効用上の独立性が認められていることも、そうした被告人の供述を正当化しえるものといえないではない。
しかしながら、右塵芥処理場は、右東京交通会館の地下二階に存在するものの、右会館とは不可分一体の構造となつているもので、右処理場を含め右会館が耐火構造になつているといつても、火が燃え拡がることが容易でないというだけで、同会館の内部特に地下一階には飲食店等の店舗、事務所等が多数存在し、地下二階にも駐車場があるなど地下二階を含め建造物自体に可燃性の部分も少なくなく、状況によつては火勢がこれらのものに及ぶおそれが絶対にないとはいえない構造のものであることが明らかであり、このことは被告人もそれまで多数回にわたつて同会館に出入りしているのであるから、当然認識していたと認めるのが相当である。しかも、本件塵芥処理場に限つてみても、当時運転を休止していたとはいえ、天井に吸排気のダクトが取り付けられているなど付加物も少なくなく、同じ地下二階には駐車場もあり、火勢の如何によつては、火が他に燃え拡がり独立燃焼に達することもないとはいえず、被告人において本件現場の構造材質状態を念入りに検討し、こうした独立燃焼がないことを確認したうえで点火に及んだものでないのであるから、一部にしろ本件建造物を焼燬するに至ることについて、少くとも被告人に未必の故意のあることを推認することができる。
(累犯前科)
被告人は、昭和五二年一一月二四日大阪地方裁判所で現住建造物等放火罪により懲役六年に処せられ、昭和五八年九月四日右刑の執行を受け終わつたものであつて、右事実は検察事務官作成の前科調書及び当該判決謄本によつて認められる。
(法令の適用)
被告人の判示各所為はいずれも刑法一一二条、一〇八条に該当するので、いずれも所定刑中有期懲役刑を選択し、前記の前科があるので同法五六条一項、五七条により同法一四条の制限内でそれぞれ再犯の加重をし、以上は同法四五条前段の併合罪であるから同法四七条本文、一〇条により犯情の重い判示第一の罪の刑に同法一四条の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役五年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数のうち一二〇日を右の刑に算入することとし、押収してあるライター一個(昭和五九年押第三九二号の1)は、判示各放火未遂の用に供したもので被告人以外の者に属しないから、同法一九条一項二号、二項本文を適用してこれを没収し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項但書を適用して被告人に負担させないこととする。
(量刑の事情)
本件は、被告人が、有楽町にある東京交通会館地下二階の塵芥処理場において、二度にわたつて同所に集積されていた多量の可燃性塵芥に火を放つて同会館を焼燬しようとしたが、いずれも未遂に終わつたという事案であつて、その犯行の動機は、痔疾の疼痛を和らげるためやダンボールが集まらなかつたことの腹いせなどであつて、特に斟酌すべき点はみあたらない。また、生じた財産的被害も大きく物損だけでも工事費を含め七〇〇万円を超え、又、第一の犯行により煙が上層階にも及び避難客も出て営業店舗に少なからぬ損失をもたらすなど多数の利用者に与えた不安も少なくない。しかも、同一場所において、再度同様の放火に及んでいることは極めて大胆、悪質であるうえ、被告人は同種前科による服役を昭和五八年九月に終えたばかりなのに本件各犯行をなしたもので、本件以外にも、ビル内の塵芥処理等でごみに火を放つなどの所業もあり、その犯情は重いといわなければならない。
しかしながら、本件は、検察官が既遂と主張する判示第一の罪は未遂に止まるものであり、各犯行とも当初から同会館全体の焼燬を積極的に意図していたものではなく、被告人も現在ではその非を認めて反省していること、その他被告人の年齢、経歴等その他被告人に有利な諸事情を考慮して主文のとおり量刑した(求刑懲役六年)。
よつて、主文のとおり判決する
(小瀬保郎 原田敏章 原田卓)